<ミンダナオ【歴史】について>
<イスラム教の受容>
ミンダナオ島は中国と東南アジアの交易中継点となっていたが、南方から
来るマレー系人の 間にイスラム教が広まりだしたのを機に、1380年ミンダナオ島にも
イスラム教が伝わり、 後にフィリピン諸島各地に広がった。
特に1457年にスールー諸島に成立したイスラム教国・スールー王国は最盛期には
ミンダナオ島・パラワン島・ボルネオ島北部(サバ州)を統治した。
フィリピン諸島におけるほとんどの領土をスペインに奪われたものの、
ボルネオ北部をイギリスに獲得される19世紀末まで存続していた。
<スペイン植民地化>
ミンダナオ島が西洋人と接触したのは、1521年、フェルディナンド・マゼランが率いていた スペイン艦隊が寄航した時である。 (マゼランは同年、セブ島近くのマクタン島で戦死している。) その後16世紀半ばから17世紀にかけて相次いでスペイン人航海者や兵士、宣教師が来航し、 ミゲル・ロペス・デ・レガスピが1565年にセブ島を征服した直後にはミンダナオ島北部も スペインの植民地支配下に入り、ミンダナオ島南部もゆっくりとスペインに征服された。 たとえばダバオ市付近がスペインに征服されたのは19世紀も半ばのことである。 スペイン人の下、アニミズムを信じる住民のキリスト教への改宗が進んだが、イスラム教の 定着が古くスペイン人による征服が進まなかった南部ではイスラム教が勢力を保ち続け、 現在に至っている。
<民族構成と独立闘争>
今日、ミンダナオ島は、フィリピン国民の5%を占めているイスラム教徒「モロ人」
(「モスリム」から転じた)の拠点となっている。 モロ人は民族的には、島の中部ラナオ湖
周辺のマラナオ人、マレーシア・サバ州とまたがって 住むタウスグ人などに分かれている。
またキリスト教徒でもイスラム教徒でもない、 複数の部族に分かれた先住民、
ルマド(Lumad)も存在する。 しかしミンダナオ島の圧倒的多数はキリスト教徒で、
特に島の北部に住むブトゥアン人は イスラム教の影響を受けず、アニミズムから直接
キリスト教に改宗している。 また第二次世界大戦後、プランテーションを持つ大地主と
土地を持たない農園労働者との 対立が激しい、人口過密なフィリピン中部ヴィサヤ諸島や
北部ルソン島などから 多くの農民が自前の農地を持つため移民・入植しているが、
彼らはキリスト教徒であり 言語ももとからのミンダナオ島民とは異なるため摩擦がある。
さまざまなムスリム勢力が、スペイン・アメリカ合衆国・日本・フィリピン政府などに対して
数世紀にわたる苦難に満ちた独立闘争を行ってきたが、キリスト教徒が多数を占める国から
独立するという彼らの願いは戦力差のため失敗し続けてきた。
フィリピン独立後、数十年にわたって行われた国土統一維持政策やミンダナオ島への
国内移民の流入により、ミンダナオの人口の大多数をキリスト教徒が占めることになった。
これにより、貧しい上に社会の主導権を取って代わられたムスリムの怒りや、
数百年にわたる分離独立運動に火がつき、モロ・イスラム解放戦線(MILF)や
新人民軍(NPA)などさまざまな反政府グループとフィリピン国軍との内戦が頻発し、
ミンダナオ西部は危険地帯と化した。
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